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平均値に関して広まった迷信?3/3

(5) 噂の背景(私の想像)

 しばしば、以下のような話を聞くことがある。

 公表された平均所得は庶民の生活実感からかけ離れている。
 所得の平均値を示しても意味がない。

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 「意味がない」というのはさすがに言い過ぎだが、「かけ離れている」という論評(感想)には一定の合理性がある。それは所得の分布が歪んでいる(=例えば正規分布とは大きく異なる)からに他ならない。生活実感に近い数値のほうが、庶民の納得感が得られやすいのは事実だろう。

 このケースで「庶民の納得感」を重視する考えに異論はないが、その考えを平均値全般に拡大し、「平均値とは普通の値であるべきだ」という思想を持つことには賛成できない。普通の値、つまり「しばしば現れそうな値」というのは、本来は最頻値(モード)や中央値(メディアン)が持つべき要件であり、平均値にまでその要件を課すのは「酷な話」である。前記の噂(ア)、つまり「桁数が大きく異なる数値の平均値を算出するときは、算術平均ではなく幾何平均を使うべきである。」という主張が展開されているのも、その「庶民の納得感」が背景にあるのではないかと私は想像している。それは、言い換えるならば、「平均値と呼ぶからには、しばしば現れそうな値であるべきだ」という思想があるのと同じことである。この考え方は、「しばしば現れそうな値」を算出するのが目的であれば、正しい考え方になり得る(それだけの理由で「幾何平均値を使うべきだ」という結論にはならないが)。しかし、目的の如何に関わらず(前提条件の違いを無視して)噂(ア)の主張を展開するのは、さすがに無理がある。

 前記A、つまり「我が国全体の排出量を推計する」といった目的であれば、「何となく幾何平均を使ってみた」という判断は不適当であり、噂(ア)を拠り所として幾何平均を使うのも正しくないだろう。このようなときは、前記の「平均値の種類とその使い分けの方法」に従って科学的に(又は数学的に正しく)判断すべきである。

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(6) 科学と行政との接点

 この接点を模索することが、今の私に与えられた重要な課題の一つだと認識している(自分で勝手にそう考えている)。世の中には数多くの「専門家」と称する人たちがあるが、科学や数学などのあらゆる分野に精通している人は皆無だろうから、自分自身の専門分野を少し離れると、不正確な主張を展開してしまうことがあるのかもしれない。しかし、行政の仕事をするときは「専門家の意見を踏まえた判断」が必要であり、その専門家の判断に疑問を感じたときは、難しい調整が求められることもある。
 もう一つ、「科学的な正しさ」だけで話を貫き通すことの限界も強く感じる。仕事の成果物の多くは世の中に公表され、多くの人たちの目に触れることになる。そのとき、専門性や知識レベルの異なる人たちの「多く」に理解してもらえる話になっていないと、その成果物の価値が認められない・・・という残念な結果になりかねない。論文を書くのと同じ感覚で仕事をすることはできない、と言い換えても構わない。

 行政の仕事をしていると、このような微妙な問題にしばしば直面するため、関係者の認識の接点を見いだすための「さじ加減」が求められる。このさじ加減が分かるようになれば、仕事の能力が熟練の域に達したことになるかもしれない。

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